78回目の終戦記念日。俺は昭和20年11月に生まれた。当然戦後それも記憶に残っているのは6歳の頃かな。どこに行くのも履物は下駄だった。わが父は当時の満洲に送られ終戦間際に肺を患って本土に戻って来たらしい。現地では殴られない日はなかったという。見たわけではないので確認は取れていない。残って終戦を迎えるもほとんどの人がシベリアに連れていかれたようだ。うちに来る若いお馴染みさん達は戦争よりも戦後幼いころにたどった俺の生き方に興味があるようだ。俺も時々Twitterに昭和26~30年頃の思い出を書き込むと必ず読んでくれる。いい思い出ばかりだからだろうな。あまり戦時中のことは解らないが動画や書物で知るしかない。経験がないので正確なことは言えないから書かないが、みんな興味があったら少しでもいいから覗いてみてはくれないだろうか。まず神風特別攻撃隊、人間魚雷回天、人間ロケット弾桜花。圧倒的に出撃して帰らぬ人となったのは神風特別攻撃隊だ。回天や桜花はもう材料がなかったり優秀な技術者がいなかったようだ。それでも出撃して帰らぬ人となったのはいる。あまりの人命軽視だ。今日歯医者さんの帰りに昭和50年まで勤めていた旧日立航空機の変電所の写真を取って来た。




コマツゼノアと名前を変えていたが何年か前に消滅した。いまだに世界のどこかで戦火が絶えない。