何十年ぶりの梅干し弁当

朝何十年ぶりの梅干し弁当を作った。

思えば昭和33年頃、まだ中学校に給食がなかった。梅干し弁当なんて当たり前だった。それすら持ってこれない子がいた。皆その子たちの家庭の事情を知っていた。少しずつ分けていた。戦後13年経ったけどまだ貧困から抜け出せない人たちも大勢いた。でも皆明日への希望に満ちていたような気がする。俺もその頃は鉱石ラジオと言ってゲルマニウムとバリコン(バリアブルコンデンサー)を組み合わせてイヤホンでしか聞けないラジオを組み立てていたと思う。梅干し弁当で当時のことが走馬灯のように蘇ってきた。